現在高校生の長女は、小学5年生で強迫性障害やウツ症状が出始め登校できなくなりました。
思春期発達外来を上げているクリニックに連れて行き、「ADDによる二次障害」との診断。
学校に相談しながら、時間を短縮しながらも登校を続けさせていました。
結果、重度のウツ病に。
知的な遅れがないもしくは逆にIQが高いけれど、発達の特性を持つ子は普通級に一定の割合で在籍しています。
この子たちが、皆と同じ方法で同じペースで学ぶことは人一倍の努力と忍耐が必要。
環境調整しながらでも学校に苦手意識を持たず、自尊心が高いまま社会に出ることができれば、
社会に貢献できる大人になれると思っています。
ところが何の環境調整もなく、皆と同じにできないことを
と捕らえて矯正しようとすると、二次障害と呼ばれるウツ症状が出てしまいます。
発達特性は生まれつきのものですが、二次障害は環境調整で防ぐことができます。
二次障害は一度発症してしまうと、何年も不安定な精神状態のまま生きていかなければなりません。
脳が鈍化してきちんと機能していないので、もともと持っている得意分野ですら発揮できなくなります。
この記事では娘が二次障害になってしまうまでの成長の過程をまとめています。
結論としては娘の場合は、大きく環境調整しなければいけないことに早くから気づくべきでした。
そしてもっと学校に強く理解を求めるべきでした。
同じような心配をかかえたママが、この経験を反面教師として学校に対して毅然とした対応をとるきっかけになれば嬉しいです。
言葉の発達が早かった0~3歳
娘は10か月で歩き、1歳2か月で指差しをしながら意思表示をするようになりました。
1歳半で2語文。2歳で3語文以上出ていたと思います。
とにかくおしゃべりな子どもでした。
生き物に興味があり大人の図鑑をいつもながめていて、動物の種類を覚えるのが得意。
「くまさん」や「ぺんぎんさん」と呼ぶのではなく、くまは「ひぐま」「ツキノワグマ」、ペンギンは「ジェンツーペンギン」「イワトビペンギン」など、種類でよんでいました。
質問も「これは、なんていうどうぶつ?」と聞かずに、「なんていうペンギン?」と種類を聞かれました。
気になったのは、着替えや靴を履くなど身の回りのことを、だれかに促されないと自分からやらないこと。
また、1歳を過ぎてから始まった偏食です。
果物は一切食べなくなりました。
トマトやカボチャ、さつまいも、くりと言ったホクホク系も食ない。
アンパンマンのスティックパンでほとんど生きていた時もありました。
保健所が行う検診で、偏食については栄養士と相談するように言われました。
後にこの偏食は、感覚過敏によるものだと分かりました。
それでも言葉が達者な娘が、発達について疑われることはありませんでした。
イヤイヤ期がなく、まわりの言う事はなんでも聞くいい子。
いくつか気になる事はありましたが、個性の範囲だと思っていました。
怖がりでママっ子の幼稚園時代
幼稚園に入園してしばらくは、母を思い出して泣いていたようです。
生き物が沢山いる幼稚園だったので、それを見ることで気を紛らわせるようになりました。
お友達の方から働きかけてくれれば、いっしょに遊ぶ事ができました。
気が強い子の言いなりになっていることが多かったです。
ダンスや学芸会は、得意。
いつものりのりで参加していました。
好きなものばかり入れていたのでお弁当は食べられても、給食の日はほとんど食べられません。
偏食が多い割に、やせてはいませんでした。
行動が他の子にくらべてかなり遅い方。
でもクラスに必ず一人は、もっと手のかかる子が。
園から特別問題視されることがなく、私も気になりませんでした。
知識が豊富な反面、忘れ物ばかりの低学年
フォローしても防げないほどの忘れ物
小学生になり、忘れ物など不注意な点が目立つようになりました。
面談で不注意傾向があると話していたことで、2年生までは問題を指摘される事はありませんでした。
数えたらきりがない程、ADDの特徴が出ていました
ところが、3年生の担任は今までの先生とは違ってかなり神経質でした。
この先生には娘の次の部分が目に付く様子。
- 漢字の書き方、宿題の提出のしかた
- やり直しを指摘したのにやらない
- ノートのページを飛ばして書く
外部で受けたテストの偏差値は標準より上だったにもかかわらず、基礎的な部分を補う夏休みの補講を勧められました。
学校のテストもできているのに、先生が指示した通りに課題を出せない事で「勉強ができない」と決めつけられていると感じました。
WISC-IV 知能検査を受ける
学校から問題を指摘されていない1年生の頃、不注意なことや偏食で給食が食べられないことが気になり、私は自らスクールカウンセラーに相談に行きました。
スクールカウンセラーは、
診断がつくほどではないと思いますが、WISC検査を受けて苦手な部分がないか調べるといいですよ。
と自治体の教育カウンセリングの連絡先を教えてくれました。
しかし当時は下の息子の癇癪にとても手をやいていたので、テストに付き添うことができないため受けさせませんでした。
3年生になり担任との面談で散々な言われようだったため、やっと検査を受けることにしました。
2時間で終わるはずの検査ですが、終わらずに別の日に続きをやる事になりました。
結果は平均を100として
処理速度が 100以下
その他の3項目は、逆に高い結果となりました。
一番高い言語理解と処理速度の差が50弱
普通はこの差が10でおさまるので、大きな凸凹があることが分かりました。
特性を周囲が理解して、叱りすぎないようにすれば問題ありません
と教育カウンセリングの心理士から言われました。
学校のスクールカウンセラーから担任に、娘をどのように扱ったらいいかを説明してもらいました。
担任は説明を受けてから、面談の時には娘の良い部分しか言わなくなりました。
生き物博士
休み時間は教室にいる生き物たちとふれ合うのが日課。
そしてその周りはいつも、同じように生き物を愛する子ども達がいました。
「生き物のことなら、○○ちゃん(娘)に聞け」とお友達の間で言われる位、詳しくなっていました。
学校ではおとなしい高学年
4年生でも問題を指摘されたことはありませんでした。
生き物が好きでない担任にあたり、教室には鉢植えしかありません。
休み時間は読書をして過ごしていました。
学習面の問題は、ありません。
だんだんと一人でいることが多くなったことに、授業参観で気が付きました。
お友達と遊ばないの?
なんて聞いたら
一人でいてはいけないんだ
と思ってしまいそうなので、黙っていました。
その代わりに習い事をさせていました。
どれも行き渋る事なくたんたんと通う娘。
人とのふれあいを楽しむのではなく、たとえば水泳なら泳ぐことが好きだから行っている様子。
3年生から入った塾が、娘にとって今までの中で一番楽しい習い事でした。
中学受験塾でしたが、少人数制で先生がフレンドリーでアットホームな環境。
そこで出来た友達とは仲良くできていました。
毎日学校じゃなくて、塾ならいいのに
と言うほど学校にいる娘と、塾や家庭での娘にはギャップが。
学校ではおとなしく、授業中に手を上げる事がなくなりました。
学校で嫌な思いしかしていなかった娘にこの塾との出会いは唯一の救いでした。
その時の記事はこちらで書いています。
二次障害の発症 ~相性が最悪の教師が担任になる~
5年生になり塾からの課題は難しく、多くなりました。
そんな中で担任になった先生が体育大学出身でした。
「忍耐」「努力」「根性」「連帯責任」をスローガンに掲げているような教師。
4年生から娘の学年を持っており、悪い評判も耳にしていました。
最初の個人面談で娘の特性や考慮してほしい点を話したところ
心配しすぎです。お母さんの心配が娘さんに伝わるとよくないですよ。
理解してくれたかのように思いました。
実際は、ダークペタゴジーとよばれる、
など、子どもたちを恐怖で支配する指導を行っていたのに分かりませんでした。
娘は
先生が怖いから、学校へ行きたくない
と毎日言うように。
登校前に
何か忘れ物をしている気がする💦
とおびえ、登校前に荷物の点検を何度もするように。
強迫性障害の症状が出始めていました。
クラスにはいつも見せしめにされて、何かと吊るし上げられている一人の男子がいました。
その子のことをいつも心配していた娘。
この矛先はとうとう娘にも
きちんと言われたことをやらなければ、教室の生き物にさわらせないぞ!
と言いはなちました。
娘は何をきちんとやらなければならないのか、分かりません。
もう生き物にさわることはできない、、、
言葉をそのまま受け取る娘は、学校へ行く理由が見いだせなくなりました。
担任に連絡帳で、指導のしかたを変えてくれるように連絡し、
スクールカウンセラーや管理職(校長、教頭)とも話し合いました。
表面では反省を示し
娘さんが恐がらないように関係を築きなおします
と言う担任。
裏腹に娘は、エネルギーを更に失って行きました。
娘の様子が心配でネットで調べているうちに、「小児うつ」と言う言葉に出会いました。
それまでは、うつ病は大人がわずらうものだと思っていました。
そこに上がっている症状がほとんど娘に当てはまっていました。
そして、医師の診断は、ADDによる二次障害 でした。
医師はひたすら投薬が適切かどうかだけを調整するタイプ。
登校させようが、させまいが薬で解決すると考えているようでした。
ストラテラの服用を始めたものの、残念ながら症状は悪くなる一方。
結局はトイレに行くことも大変なぐらいの重症な、うつ病になってしまいました。
二次障害と診断されてから思うこと
まず親が自分の子どもの事を理解するのが先になりますが、次は学校です。
もし「がんばっているのになかなか、皆と同じようにできない」と思われる部分があったら、
すぐにでも学校側に無理をさせないように働きかけて行くことが大切。
残念ながら配慮してもらえない場合は、登校をしぶりだしたらすぐに休ませましょう。
学校の成績や行動に問題がなければ、通級を勧められることもなく普通級で過ごします。
娘のように受け身で自己主張をしない子どもは興味やテンポが皆と違っていても、歩調を合わせるように要求されます。
ずっと過剰適応という無理を積み重ねていき、いずれはエネルギーを使い果たしてしまいます。
そしてウツや不登校になってからやっと、発達障害の診断がおりるのです。
診断があれば親も学校に便宜を図ってもらいやすくなりますが、それでは遅すぎます。
もっと早くから環境調整すれば、二次障害にならずに済むのですから。
発達凸凹の子供に関して学校の先生は専門家のフリをしたド素人
過激な見出しにしてしまいましたが、本当です。
学校での苦労が少なかったから、学校の先生になる。
平均的な子が息を吸うように簡単にできることを、頑張ってやっとこなしている子がいることが想像すらできない。
日本はまだ、教師と言う職にある方を敬うのが一般的です。
先生も大変なんだから、個別に対応するなんて基本的に無理。
との主張を見かけます。
私もそう思って遠慮していました。
でも娘の場合、そんな悠長なことではダメでした。
その間にも毎日、担任の歪んだ考えを一方的に押し付け、子ども達に恐怖を与えて従わせるような指導が、教室という密室で行われていたのです。
そんな人が担任のうちは、娘を無理に登校させても学べることは一つもなかった。
親や他の大人たちの前ではいい先生を演じている担任だったのですから。
娘が少し元気になってから話してくれたり、
クラス替えしてやっと、他のお子さんやその保護者からその担任の本当の姿を知ることとなりました。
教室の中の出来事は、防犯カメラやICレコーダーがなければ分かりません。
学校の先生という職業は過酷すぎるので、なり手が少なくなっています。
うつ病になりやすい職業としても知られています。
そんな理由から、精神面、肉体面で丈夫な体育専攻の先生が増えているのかもしれません。
娘の担任ほど、生徒いじめをする先生は少ないと思います。
しかし悪気がなかったとしても、「努力で苦手を克服させよう」と無理を強いる教師はとても多いです。
他の生徒やその保護者の目を気にして、診断がないのに特別扱いはなかなかしてもらえません。
本来なら合う学び方は一人ひとり違うはず。
精神崩壊させてまで、そのやり方に従う必要はありません。
学校は自分の子の未来に責任をとってくれません。
言うべきことをはっきりと、できれば書面で伝えて下さい。
娘は発症前と後では別人のようになってしまいました。
あんなにおしゃべりで、好奇心旺盛で毎日が楽しそうだった娘。
それのエネルギーを取り戻すことは、まだまだ出来そうにありません。
発達特性をもつ子供が幸せになるためには、二次障害になる前に親が対策をとることが重要です。
特に小学校では子ども達が従順な年齢であることから、
担任が無理筋を通そうとすることが多々あるようです。
すべての学校で子供の人権が守られますように。
こちらは教育関係者に向むきですが
違法とまでは言えない、不適切な指導について書かれた本です。
娘が5年生の時にこの本が出版されていたら、管理職に読んでもらうだけで不適切な指導だと認めてもらえたと思います。
ホームスクーリングも検討してみる
子ども本来、新しい知識を得ることが大好きです。
家で学習する方が集中できる子も実は多いようです。
我が子たちは、小学校は登校しない方が学力は上がります。
もちろん、学校は勉強するためだけの場所ではありません。
しかしもしも我慢や忍耐しか学べない環境ならば、しばらくホームスクーリングで補いながら、機を待ちましょう。
保護者は決して希望を捨てずに、学校に要望を出しながら環境を整えて回復を待つことをお勧めします。
校長先生が変わるだけで、学校は大きく変わることがあります。
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